TAO均整閑の渡部乙清です。
この仕事に就くきっかけは、私の父が均整法の名人のひとり佐々木甚左先生に施術を受けたことでした。
高校に入学して始めた武術で、整体法を知って以来、体の勉強は好きでした。
社会人になる頃には、趣味でときどきひとに頼まれ施術する程度のことができました。もっと高度な整体を学びたい気持ちが続いていました。
そして一冊の本と出会い、姿勢保健均整専門学校のスクーリング科に入学をすることになりました。好奇心と知識欲からで、開業目的ではありませんでした。
ところが、スクーリング科在学中、父が均整法の名人の施術で受けたのです。父は、いろんなことを試しても効無く、仕事も出来なくなっていました。それが元気になり、家業に復帰したのです。その喜びと驚きが、職業にすることを決意させました。仕事を辞め、本科1年次より再スタートし、本格的な勉強をすることにしました。
すでに子供が1人いての、一大決心でした。
しかし衝撃であったのは、本科2年次、名人が他界したことです。
気を取り直し卒業し、開業したのですが、それから、名人のレベルを求めての悪戦苦闘が続くことになったわけです。
所属団体の研修会をはじめ、所属外で開かれるセミナーへの参加、文献、手技ビデオなどでの研究、独自の研究などを続けたのですが、名人のレベルには遙か遠いところのままでした。
ようやく12年前のこと、現在、手技や均整法でこの道50年以上になる2人の先生に、指導を受けられることになったのです。所属団体の異なる先生でした。
本物に出会ったと思いました。知識量、体の使い方、効果、味わいなど技術の質がまったく違ったのです。自分のレベルとは異次元の感じでした。技を受けた感覚でたとえると、スーパーマーケットの握り寿司と老舗の寿司の違い、というところです。
他では褒められることが多くなっていましたが、二人の先生には、叱られ、注意されることばかりでした。多少は出来ると思っていただけに辛いものでした。
しかし、知識は増えるのですが、技の深いところで近づいていく感じがしないのです。
以前から自分ながらに勉強していたアレクサンダー・テクニックや野口体操、武道を新しい気持ちで取り組み始めました。そして、均整法の文献にある中国拳法、合気武術の研究、技術の芸術性への関心へと進んでゆきました。
転機を迎えたのは、中国拳法で日本人として始めて入門を許された武術家との出会いでした。スポーツやダンス、日本舞踊にまで共通する高度な体使いとは何かを学ばせて頂きました。その後、大東流という合気武術への入門。そしてようやく均整法の達人の動きが見えるようになってゆきました。
それで気づいたことは、文字で残すことの困難な技術、自分の常識を壊さない限りつかめない技術があるということでした。それを乗り越えてつかんだ技術は文化であり、芸術に近づくということでした。そしてこの間に出会ったものが新たな自分の原点となってきています。
均整法を学び始める頃には生まれていなかった2人の子供が、もう高校生と大学生になっています。ここでもう一度これまでをふり返り反省しつゝ、これまでの経験を活かし、よりよい仕事のあり方を築き上げてゆこうと思います。そして身体調整を芸術に高めてゆくつもりです。
とどこおれば腐るというのが私の信条です。これからも変化、向上を続けたいと考えています。
高校時代にはじめた少林寺拳法の整法(整体)、同じ頃に興味を持ちはじめたヨガや瞑想法、
それが整体との出会い。
学校ではフランス文学。
そして会社勤め。
姿勢保健均整専門学校(現 東都リハビリテーション学院)卒
姿勢保健均整専門学校 元講師
現在の施術所は東京都国立市。2001年1月立川から移転。旧称「均整TAO立川」
- 注1 東都リハビリテーション学院では2007年1月現在、均整科の募集をしていません。
- 注2 均整法は身体均整法の略です。